詩佳diary

まさかうちの子が不登校…。シングルマザーの子育てや日常の記録です。

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東日本大震災から8年、思う事


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こんばんは!詩佳(@shiikamama)です。

東日本大震災から8年、テレビでも色々報道されていますね。

震災当日を振り返って、思った事を書いていきたいと思います。

 

当時は病院で働いていました

8年前は病棟クラークをしていました。

昼食を終えて病棟に戻り、仕事をしていました。

私が担当していた病棟は3階で、いつもと変りなく仕事をこなしていたのです。

最初は、『地震だ。』ぐらいの感じでしたが、段々揺れが大きくなり、いつになっても収まる気配がありませんでした。

揺れている時間が凄く長く感じました。

棚は倒れ、パソコンも床に落下し、ナースセンターは酷い惨状でした。

ようやく揺れが収まり、皆で手分けして患者さんと避難しました。

まずは1階に。

そこは人で溢れかえっていました。

余震もあり、ここでは危険かもしれないという事で、外へ避難する事になりました。

小雨が降る、寒い日でした。

地震の揺れで、大量の花粉が空を黄色く染めていたのがとても印象に残っています。

しばらくたって落ち着いてから、看護師さんたちは患者さんを病室へ連れて行き、私たちは”病歴室”へと戻りました。

私が住んでいる地域は震度6弱だったのですが、酷い被害だった被災地の揺れは想像も出来ません。

子供たちは保育園でした

どのタイミングだったかは忘れてしまいましたが、病院の電話を借りて母に電話をしました。

運よく繋がり、母と子供の安否は確認出来ました。

母が保育園迄迎えに行ってくれたようです。

子供たちは園庭に避難していて、先生たちがブルーシートで雨除けをしてくれていたそうです。

娘は、

「先生がコートや毛布を取りに行ってくれたけど、とても寒かった!怖かった(:_;)」

と話してくれました。

今でも地震があると、凄く怖がります。

被害の状況から、安全が確認出来るまではしばらくお休みとなりました。

息子がもう少しで卒園するという時でした。

停電と計画停電

信号は消え、街全体が暗く、まるで違う世界に来てしまったのではないかと錯覚する程でした。

電気が来ないと、こんなにも不便なんだと思い知らされましたね。

うちは井戸水なので、電気が来ないと水も出ません。

プロパンガスだった為火は使えたので、初日は冷蔵庫にある食材でお鍋をして過ごしました。

夜になると真っ暗で何も見えないし、どういう状況なのかの情報も入ってこない、そして揺れが大きい余震…。

茶の間で皆寄り添って寝ました。

ようやく復旧したのは、2日後だったでしょうか。

テレビで見た惨状に、言葉も出ませんでした。

計画停電もありました。

多少不便でしたが、時間が分かっていた為ある程度対策は出来ました。

地区によって、計画停電があった所・無かった所、しばらく停電していた所・すぐに復旧した所があり、近くでも全然違うんだなと思った記憶があります。

食料・水・ガソリンの確保が大変でした

いつまで続くか分からない停電、確保しないといけない食料・水、移動するのに必要なガソリン…どこに行っても長蛇の列でした。

ある程度は確保出来たのでよかったですが、どれくらいで復旧するか分からない状態だと、本当に不安になります。

その時までは何も思っていませんでしたが、今では非常用に水や食料をストックするようになりました。

特に小さい子供が居ると大変です。

ある程度余分に置いておくと、安心だと思います。

思う事

私が住んでいる地域でも、山が崩れて亡くなられた方や、家が倒壊して住めなくなって非難を余儀なくされた方々がいました。

施設が壊れたり、道路が破壊されて通行止めにもなっていました💦

震度6弱の地域でも、沢山の被害が出ました。

東北の被災地は、こんなものでは無かったでしょう。

悲しい事に、津波などで行方不明になっている方もまだいらっしゃいますね。

幼い命も沢山失われてしまいました(:_;)

国・自治体の対策も必要ですが、個人の対策も重要だなと思いました。

日頃から家族で話す機会を設けたり、ある程度必要な物を用意するなど、最低限の事は出来ると思います。

8年前の事を忘れないように…。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございますm(__)m

 

 

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